木漏れ日
あの日君は僕になんて言ってたっけ?なんて言ったってもう関係ないね 車輪が回り出したら旅は始まってしまうから
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■沙保里と伊調に注目
“五輪の顔”が帰ってくる。人気グループ嵐の櫻井翔(34)が8月、日本テレビ系リオ五輪の放送で夏季、冬季合わせ5大会連続でキャスターを務める。「選手に寄り添って接する五輪の仕事は、他では感じられないものがある」と目を輝かせる。7月は同局で参院選特番や「THE MUSIC DAY」の司会を務めるなど大車輪の活躍だが「政治にスポーツ、音楽と、逆に勉強させてもらっています」という。学業と芸能の二足のわらじを履きながら、ジャニーズ事務所で初めて報道番組への扉を開いた。その裏には揺るがない信念と鋼のような意志が隠されていた。
08年北京から始まりバンクーバー―ロンドン―ソチ、そして今回のリオが5回目。足かけ9年、キャスターとして五輪に携わった中で心掛けていることがある。
「現場には5、6年もその選手をずっと取材している記者さんがいます。僕の取材は1、2日ぐらい。知識量や信頼感ではかなわないので、熱気や空気感を大事にしたい。視聴者が競技で目にするのは数分や数時間かもしれないけど、選手はその日のために4年、いや8年、12年の歳月を費やしてきた方もいる。それを知った上で、選手に思いを重ねて伝えていきたいです」
“五輪の顔”というイメージも定着し、選手らの認知度も高くなっている。
「北京の時は右も左も分からなかったけど、知り合いも増えて話してくれる方も多くなりました。先日も競泳で4、5人の取材に行ったら、なぜか全選手と記念撮影を…。僕が真ん中で水泳協会の会長みたいな感じになっちゃいました。まだホームグラウンドにはなり切れないけど、温かく迎えていただき自分なりに取材の仕方も分かってきました」
——今回の注目選手は。
「レスリング女子の吉田沙保里さんと伊調馨さん。今回(挑むの)が4連覇ですからね。特に吉田さんはテレビ番組でデートまでしていますから元カノみたいな感じです。ロンドンの時はお父さんがいましたが、今度は違う思いを持っていると思います※」
“五輪の顔”が帰ってくる。人気グループ嵐の櫻井翔(34)が8月、日本テレビ系リオ五輪の放送で夏季、冬季合わせ5大会連続でキャスターを務める。「選手に寄り添って接する五輪の仕事は、他では感じられないものがある」と目を輝かせる。7月は同局で参院選特番や「THE MUSIC DAY」の司会を務めるなど大車輪の活躍だが「政治にスポーツ、音楽と、逆に勉強させてもらっています」という。学業と芸能の二足のわらじを履きながら、ジャニーズ事務所で初めて報道番組への扉を開いた。その裏には揺るがない信念と鋼のような意志が隠されていた。
08年北京から始まりバンクーバー―ロンドン―ソチ、そして今回のリオが5回目。足かけ9年、キャスターとして五輪に携わった中で心掛けていることがある。
「現場には5、6年もその選手をずっと取材している記者さんがいます。僕の取材は1、2日ぐらい。知識量や信頼感ではかなわないので、熱気や空気感を大事にしたい。視聴者が競技で目にするのは数分や数時間かもしれないけど、選手はその日のために4年、いや8年、12年の歳月を費やしてきた方もいる。それを知った上で、選手に思いを重ねて伝えていきたいです」
“五輪の顔”というイメージも定着し、選手らの認知度も高くなっている。
「北京の時は右も左も分からなかったけど、知り合いも増えて話してくれる方も多くなりました。先日も競泳で4、5人の取材に行ったら、なぜか全選手と記念撮影を…。僕が真ん中で水泳協会の会長みたいな感じになっちゃいました。まだホームグラウンドにはなり切れないけど、温かく迎えていただき自分なりに取材の仕方も分かってきました」
——今回の注目選手は。
「レスリング女子の吉田沙保里さんと伊調馨さん。今回(挑むの)が4連覇ですからね。特に吉田さんはテレビ番組でデートまでしていますから元カノみたいな感じです。ロンドンの時はお父さんがいましたが、今度は違う思いを持っていると思います※」
■親に黙ってジャニーズに履歴書送付
キャスター業への第一歩は06年に日テレ系「NEWS ZERO」への出演。報道番組に興味を持ったのはその数年前からだった。
「20歳前ごろに親知らずを4本一気に抜くために入院した時、1週間ほどテレビをずっと見ていて、キャスターのような仕事をできないかなと思ったのが出発点です。同じ時期に9・11(01年の米中枢同時テロ)が発生し世界で何が起こっているのか調べている中で、報道の仕事を強く意識しました。分かりやすい報道番組の必要性を感じて事務所の方に提案もしました。当時は難しい反応でしたが、僕の希望を覚えていてくれて実現できました。感謝です」
ジャニーズ事務所に入ったのは中2の時。友人にけしかけられて“ノリ”で履歴書を送ったという。
「文化祭に行くと、よく女子高生にジャニーズJr.に間違えられて写真を撮られたりしていたら、友人が『お前、Jr.いけんじゃないの』って。『じゃあ、やっちゃう』という軽いノリでした。家族にも内緒で履歴書を送ると、1か月後ぐらいに返事が来ていました。サッカーの部活が終わって帰宅したら『1次審査を通過しました』と通知が…。差出人がないので封が開けられている状態でした」
——ご両親の反応は。
「その時の光景はよく覚えています。母がダイニング、父はリビングに。『何でこんなの来ているの』と母は笑っていたけど父はブチ切れていました。親に黙って芸能事務所に履歴書を送っているんですから、僕が親でも『勝手なことやりやがって』となりますよ。父には(2次審査には)『行くな』と言われたけど、なんだかんだで、車でオーディション会場に送ってもらいました」
■半年デビューが遅れていたら…
ジャニーズJr.として活動する一方、学業優先を貫く。これは事務所始まって以来の異例のスタイルだった。
「完全に学業優先で、試験の1か月前にはJr.を休んでいました。ドラマ出演の話もありましたが『修学旅行があるので』と断ったら、不思議な顔をされました。本気で向き合っている子と比べたら全然温度も違っていたし、元々この世界に骨をうずめる気はなく高校で(Jr.を)やめる気でした。そしたら高3でデビューしたのでやめられなくなった感じです。もし、半年デビューが遅かったら僕は事務所にいないと思います」
——嵐のメンバーは知らされていた。
「はい。最初は僕と松本(潤)と二宮(和也)の3人でした。ハワイでのデビュー会見が決まったころ、(ジャニー喜多川)社長が『大野(智)は歌がうまいんでリードボーカルとして入れたい』。そのうち『なんで相葉(雅紀)がいないの。かわいそうじゃない』と。元々Jr.時代に二宮、松本、相葉の3人で活動していたからですが、社長が言い出したのが出発の3、4日前に『パスポート持っている?』って感じでした」
99年に嵐としてデビュー。翌年には大学に進学したが、学業優先のスタイルに揺るぎはない。鋼の意志を持って両立に臨んでいた。
「『よく4年で卒業できた』とか言われますが、そもそも留年したら嵐をやめる気持ちでした。大学3年の時『木更津キャッツアイ』(TBS)に出演して、4年で『よい子の味方』(日テレ)の主演。(両立は)すごい大変だったけど、この道を選んじゃったワケですから…。僕がやっていることは醜いアヒルの子のように、学校は『なんで芸能活動やるの』、芸能側からは『なんで学校に行くの』と認められないこと。それを成立させるためには、どっちも100点の答えを出さないと大人は納得しない。当時は大人を納得させるために闘っていた感じですね」
嵐が国民的なアイドルとなり、グループとしても個人としても存在感が高くなっている。嵐はこれからどこに向かうのか。
「他の4人は違うと思いますが、あくまで個人的な意見として聞いてください。昨年、宮城でブラストというコンサートを開いたんですが、僕らが足を運ぶことによってその街が元気になるというか、気持ちとともに経済的にも豊かにしたい。CSR(企業の社会倫理的な活動)といったら大げさですが、社会に還元できる活動をグループの機能の一つとして持っていたいと思います」
■ユニバーサルマナー検定2級を取得
先ごろ、障害者らのサポート方法などの習得を目的とするユニバーサルマナー検定2級を取得。思いは五輪同様にパラリンピックにも強く向けられている。
「パラリンピックを成功させることで、成熟した東京を世界に届けられると思いますし、僕自身もこれまで以上にブラインドサッカーや車いすバスケなどいろんな競技をしっかり取材したいです。僕の知り合いが2年前に車いす生活になり、一緒に食事に行くと移動の大変さを実感します。パラリンピアンや観戦に来られる方が足を運びやすい物理的な環境が整うといいと思います。東京総バリアフリーというか、2020年はひとつの目安になりますね」
自分の信念を貫こうとする覚悟と強固な意志。周囲や立場を考える優しさと視野の広さを持ち合わせている。活躍の場は芸能界にとどまらないだろう。
■“櫻井パパ”には「違和感あった」
31日は東京都知事選の投開票日だ。一時は父である桜井俊・前総務事務次官(62)が有力候補として名前が挙がり、「息子に迷惑をかけられない」として辞退したという報道もあった。本人にはどう映っていたのか。
「別に何も感想はないですけど、おれが息子なのにな~と思って見てました。(「息子に迷惑―」発言は)直接本人に聞いていないんで何とも分からないですね。まあ“櫻井パパ”というのは違和感があったというのがひとつの結論ですかね。彼の息子が僕なだけ。父が出るなら出るで、それは彼の選択ですから」
————————
梗概メモ:
・跟北京时还分不清东南西北的自己相比,现在在奥运赛场里认识的人、会跟我交谈的人变多了。前几天我去采访了4、5个游泳选手,不知为什么还跟所有选手一起合了个影…而且我还站在正中间,旁边是游泳协会的会长这样……w 虽然采访还不是自己的主场,但由于对方温柔地接纳了自己,所以也开始弄清什么才是属于自己的采访方式。
・这次瞩目的选手是女子摔跤吉田沙保里桑和伊调馨桑。特别是吉田桑,都在电视节目里约过会了基本上就是前女友的感觉。伦敦的时候她父亲还陪在身边,这次我想她的心态应该不同了。
・【坚持学业优先】我所做的事就好像丑小鸭所经历的一样,被学校的人说:“为什么要进行演艺活动?”,演艺圈这边也不理解:“为什么要去上学?”,哪边都得不到承认。所以为了使工作和学业两立,不论哪边我都必须交出100分的答卷,不然大人们是不会接受的。当时为了得到大人的认同,我的确是经历了一番奋斗的感觉。
・残奥会如果能成功举办,我想就可以像世界传达一个成熟的东京的形象,我自身也想在盲人足球、轮椅篮球等各种残疾人竞技的取材上投入比现在更多的力量。我有位朋友2年前开始了轮椅生活,和他一起吃饭的时候我切实感受到了他在移动上经历的不便之处。希望我们可以规整出让残奥运动员以及前去观战的观众都觉得便利的生活环境。东京整体Barrier Free,应该能算是2020年的一个大致方向吧。
・对“櫻井爸爸”这个称呼「抱有违和感」。31日是东京都知事选举的投开票日。在一段时间里有报道称,他作为有力候选人而被提名的父亲因为“不想给儿子添麻烦”的理由辞退了选举。那他本人是怎么想的呢。
「我没有任何感想,不过我看到报道的时候心里想的是“明明我才是他的儿子啊〜”。“不想给儿子添麻烦”这句话我没有听到父亲本人说,所以我什么都不知道。不过“櫻井爸爸”这个称呼对我来说很有违和感,这大概算是我得出的一个结论吧。他的儿子是我,只是这样而已。如果我父亲想参选的话那就参选好了,因为那是他的选择。」
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Author:
反骨心
自己紹介:
泣いて、求めて、転んで、また泣いて、そして大人になって…
世界中に嵐を巻き起こせ❤
櫻井翔ちゃん一筋Love!!
にのあいは王道✌
総武線アタック参上√
ヨーローピークーー!! ㊬
博客内文章请勿转载☺
murasaki.o-oi.net
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